インタビュー

株式会社海洋堂

「好き」を究めた精巧な技術力で業界を牽引し、
世界の博物館や美術館にも進出するトップランナーの造形集団。

「誰にも真似できないこと」をやる。フィギュアに生命を吹き込む海洋堂の、これまでとこれから。

宮脇 修一株式会社海洋堂
取締役 専務

フィギュア界のパイオニアとして業界を牽引する傍ら、自らもものづくりを愛し、造形集団海洋堂代表の名も背負う。世界最大のガレージキットイベント「ワンダーフェスティバル」実行委員会代表も務める。

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はじめに

門真市駅から少し歩いて住宅街を抜けると、突如大きな恐竜たちが人間を見下ろす異空間に迷い込む。門をくぐれば、大魔神がお出迎え。建物のあちこちに、貴重で精巧な、遊び心溢れるフィギュアたちが鎮座しているのは、門真市にある「海洋堂」の本社ビルだ。日本のみならず、世界においても有数のものづくりの技術をもつ海洋堂様に、「フィギュア」や「ガレージキット」という世界の変容とその可能性、海洋堂様のものづくりにおける魂や、一部の人間の嗜好品には留まらないその技術活用についてお聞きする。

ものづくり
タウンかどま

ものづくりタウンかどま:入り口も含めて、会社のあちこちにフィギュアが並んでいて壮観でした。さっそくですが、海洋堂様の特徴や強みを教えていただけますか?

宮脇 修一
(以下 宮脇)

そもそも海洋堂というのは、僕が小学校一年生になる頃、幼稚園児時代からプラモデルが大好きだった私に、当時定職に就いていなかったお父ちゃんが「じゃあプラモ屋やったるわ」ということで始まった会社です。小学校から中学校まで、私はさまざまな模型の中にひたひたと浸って漂い、模型に対する知識や情熱を培いました。その結果、今では大阪芸術大学のフィギュア科の教授を8年間やらせていただいたりもしていますが、僕の最終学歴は中卒なんですよ。海洋堂はそういった、「とにかく自分の好きなこと」でつくられている会社だと思います。

ものづくり
タウンかどま

なるほど。真ん中には「好き」があって、すべてはそこから派生した結果ということですね。

宮脇

大阪にはたくさんのものづくりの会社がありますが、僕に言わせたら「真面目すぎておもんない」んですよ(笑)。よく子どもさんが職場見学に行ったら、職人のおっちゃんが素晴らしい技術で綺麗に黙々と作業しているところを見せられます。ひとつの道を極めていればもちろん技術力はありますが、そこにエンターテインメントの心というか、「漫画的心」はないんですよね。

ものづくり
タウンかどま

「漫画的心」ですか。

宮脇

海洋堂でものを作っている人間は、専門的な学校で学んだ人は一人もいません。松村くんという世界一動物造形がうまい子は、水産大学でクジラや鳥を追いかけて様々な自然史系の仕事を続ける中で、ひょんなことからうちにたどり着いたといいます。
海洋堂のすべての製品には、動物であろうがウルトラマンであろうが、造形を作った、原型を作った人の名前が刻まれています。同じウルトラマンを作るとしても、十人いれば十人違ったウルトラマンになるんです。宮崎駿と赤塚不二夫と手塚治虫では、同じキャラクターを書いたとしてもタッチは変わりますよね。それと同じことです。海洋堂の社員たちのものづくりはどれも素晴らしいと自信を持っているからこそ、食玩を含むすべてに作者の名前を入れている。これはどこのメーカーやものづくりの会社もやっていないことだと思いますし、「真似できるもんならやってみぃ!」という自信にもつながっている海洋堂の自慢です。

ものづくり
タウンかどま

素晴らしいですね。自分の名前が入った作品が生まれると、造形師さんたちのモチベーションにも繋がっていきそうです。ちなみに、造形師と原型師というのは異なるのでしょうか?

宮脇

本来、フィギュアの形を作る人間のことは「原型師」という言い方をすることが多いのですが、海洋堂では基本的に「造形師」と呼んでいます。社員ひとりひとりのことを、ただ原型を作る担当の者というだけではなく、その人の個性や作風やこだわりといった部分まで含んだ「造形」を創作する一人の「作者」だと捉えているからです。

フィギュアというものの立ち位置を変えた挑戦

ものづくり
タウンかどま

博物館や美術館といった公的な施設とのお仕事も多い海洋堂様ですが、そうした公的施設とフィギュアのコラボレーションが生まれた経緯はどのようなものなのでしょうか。

宮脇

1983年に、ガレージキットやフィギュアと呼ばれるジャンルを発明し、松村くんという素晴らしい技術をもった社員と一緒に恐竜フィギュアを作ったりもしていたんですが、最初は「頭がおかしい」というような扱いでほとんど売れませんでした。アートや文化・美術としては受け入れられず、当時の海洋堂はロボットやアニメなどのフィギュアを作ってお金を稼ぎ、それらをもって恐竜や動物のフィギュアを作る作家に食い扶持を作るというような動き方をしていました。

ものづくり
タウンかどま

当時はまだフィギュア自体が「一部の特殊な人たちの嗜好品」という感じだったのですね。

宮脇

「博物館にフィギュアのような俗なものを置くなんて」と日本では取り合ってもらえませんでしたが、海外の自然史博物館に持って行って営業を続けていると、評価をいただけるようにもなっていきました。精巧な恐竜を地道に作り続けていたことで、福井県立恐竜博物館さんやニューヨークの自然史博物館さんから依頼を受けて展示模型を作成したりもするようになり、少しずつ公的施設とフィギュアの距離を縮めていったんです。1993年に映画ジュラシックパークが公開された時にも、制作会社から依頼を受けて、当時海洋堂にあった恐竜30体近くを持っていき、それを雛形にあのリアルな恐竜たちが作られたということもありましたね。真剣に恐竜を作り続けたことで、そういう展開を作っていったのです。

ものづくり
タウンかどま

リアルさを再現する技術力とともに、「造形」としてのこだわりがあるからこその抜擢なのだろうなと感じます。先ほど制作現場を見学させていただいたのですが、生き物のフィギュアがリアルであると同時にすごく生き生きとしていたことが印象的でした。

宮脇

ありがとうございます。「好き」を中心に展開しているからこそでしょうね。2002年には、東京国立美術館に大英博物館の展示物がくるという時に、一緒に発売されたSHOKUGANという商品のフィギュアも作らせていただきました。いわゆるおまけつきのお菓子、食玩です。大英博物館の所蔵物を精巧に再現したことで大変評判となり、その後、大英博物館のセンターコートでも海洋堂の作者の名前が刻まれた商品を売ることができました。これは大変光栄なできごとでしたね。
一度そういったところとの実績を作ると、いろいろなところからお声がけをいただけることも増えました。ただ、僕たちは下請けであろうが何であろうが、造形集団としての海洋堂の名前と、海洋堂の造形師たちの名前は必ず入れてくださいということをいつも伝えています。どんなに大きなところでも、それを断られるのであれば仕事はしない。「私たちが作るものは世界一素晴らしいものです。下請けであれど、魂までは絶対に売りません」という、少し生意気にも見える誇りを真剣に主張し、守り続けてきたからこそ、博物館や美術館のような公的施設にも信頼をしていただける今の海洋堂があると思います。

「子どもの逆襲」から始まった愛のある執念

ものづくり
タウンかどま

「フィギュアがアートやカルチャーとして認められていなかった」というのは、今の20代や30代の人間からするとまったく想像がつかない世界です……。

宮脇

そうでしょうね。たとえばウルトラマンにしろ、私たち海洋堂はAタイプ、Bタイプ、Cタイプと微妙に異なる顔立ちにこだわりをもって作ってきました。美少女フィギュアと呼ばれるものにしても、服の質感や透け感、ボディライン、皺の一本一本をいかに作っていくかということを真剣に考えて取り組んでいますが、一般的に見れば「いい大人が何をやってるんだ」という見られ方になります。
そもそも、2000年代に入って食玩が流行するまでは、「フィギュア」と言うと「フィギュアスケート」だと思われるような世界だったんですよ。

ものづくり
タウンかどま

ほんの20年ほど前の話だとは思えません。

宮脇

ですから、海洋堂の功績の一つとしては、「フィギュア」という今のジャンルを日本において発明したということもあるんじゃないかと思っています。昔はね、飛行機などの模型を作っている会社さんも、キャラクターものになると急に手を抜いている印象がありました。自分が子供の頃に、アニメやヒーローのおもちゃを見て「テレビと全然ちゃうやないか!」と思うことも多かった。だからこそ、海洋堂ではリアルさを追究する。子ども向けだったとしても、子ども騙しのものは作るべきではない。僕たちは「子どもの逆襲」なんですよ(笑)。

「造形の白亜紀」の終わりとものづくり

ものづくり
タウンかどま

海洋堂様は、そうしたこだわりあるものづくりを続ける中で「ワンダーフェスティバル」というイベントの主催も担われていますよね。

宮脇

ワンダーフェスティバル(以下ワンフェス)の運営は、私たちが2代目です。始まりは1985年に株式会社ガイナックスの前会社となるゼネラルプロダクツ(以下ゼネプロ)さんが開始したイベントで、最初は私たちもお手伝いをしていました。小さなイベントでしたが、5年ほどで来場者1万人規模のイベントになった頃、「ゼネプロはアニメやゲーム制作に強いけれど、ものづくりはやはり海洋堂さんに敵わない」ということで、「ワンフェスをよろしく頼むで」と、2代目主催者を任せてもらうことになりました。もう35年になりますね。

ものづくり
タウンかどま

35年というと様々な変化もあったのではと思いますが、業界として感じる変化はありますか?

宮脇

大きなところでいえば、やっぱり「新世紀エヴァンゲリオン」のヒットはすごく大きかったですね。あの作品は、当時20代くらいのアニメや漫画やゲームを卒業しなければと思っていた大人たちが「僕(私)はこの場所にいていいんだ」という免罪符をもらってオタク返りができたきっかけになった作品だと思います。同じタイミングで、フィギュアの売上が上がったのはもちろん、ワンフェスの来場者も3倍4倍にと膨れ上がりました。
参加者やものづくりの技術面での変化でいうと、最近はデジタル技術を使ったものづくりがとても増えた印象です。昔のものづくりは右手と左手に脳みそを分けるようにして、指先を使った「指先力」で造形をしましたが、最近はパソコンやタブレットを使い、画面の上で絵を描いて造形をする。服も手も汚れませんし、重力などの様々な制約から解き放たれた作品が生まれるでしょう。絵を描くセンスで造形が可能になるので、間口はどんどん広がっていくのではないかと思います。

ものづくり
タウンかどま

そうなってくると、海洋堂様に在籍するような「造形師」という存在は変化していくのでしょうか。

宮脇

確実に「広く」はなると思います。ただ、どれだけ優秀なマッサージ機ができても、「マッサージ師さんの施術の方がえぇやん」みたいなことはあると思うんですよ。「手当て」なんて言葉があるように、指先力というものが完全に消えていってしまうことはないんじゃないかと思います。デジタルに慣れている人は指先での彩色や磨きといった作業ができないかもしれないし、新たな分業スタイルができたり小回りがきく世界にはなりそうですね。白亜紀の巨大な恐竜たちが闊歩していた時代から、哺乳類の時代になったというような感じです。
海洋堂の造形師に限って言えば、みんな「製図をする人」というよりは「漫画家」みたいなものなんですよ。たとえば太陽の塔のフィギュアを作る時には、太陽の塔を仰ぎ見た時のあの存在感や迫力までをも再現するために、縮尺によってパーツの配置を微妙に変えたりしています。たとえ設計図があったとしても、寸法通りに作ればいいってもんじゃあないんです。そんなガレージキットスピリッツ(=何もないところから素晴らしいものを生み出す力)を守り、発信できるように、「素晴らしいものを作るものづくりの場」としてのワンフェスはこれからもしっかりと守っていきたいですね。

偉大な才能をより多くの場へ

ものづくり
タウンかどま

海洋堂様は全国各地に「ミュージアム」という形で自社の施設を作られていますが、どういった理由があるのでしょう?

宮脇

あれは私の父が作ったものでして、まぁそういうのが好きな人ということですね(笑)。「館長」と呼ばれる父はもう92歳になりますが、門真市に新たに「海洋堂ホビーランド」を作る計画にも意欲的に取り組んでいます。私はものづくりが大好きで、造形に関わること以外にはあまり興味がありませんが、父は生きてきた時代もあるのか、むしろものづくりというもののイメージを変えることに注力してきた人です。ミュージアムという場を作り、素晴らしい造形師たちの作品を並べることで「海洋堂のものづくりはすごいんやぞ」と伝える意義がありました。あとは、ニューヨーク自然史博物館での展示模型制作のような文化的資産に対する活動をこそ、海洋堂はもっとやっていくべきだという考えもあります。

ものづくり
タウンかどま

「海洋堂ホビーランド」というのは?

宮脇

2021年春に、門真市駅前のイズミヤ3階にオープンする予定の施設です。これまでの長浜や四万十のミュージアムとは少し違って、作品を展示するだけではなく、大人も子どもも来て楽しむことができる「遊び場」にしたいという構想を持っています。海洋堂のミュージアムはいずれも造形師がメインであるというスタンスですが、変わらず偉大な才能を大切にするスタンスは明示できるように工夫したいですね。

ハイクオリティを貫き、立体造形の文化醸成を

ものづくり
タウンかどま

宮脇専務にとって、海洋堂とはどのような存在ですか?

宮脇

実はこの2月に、本当はもう海洋堂を解散しようと思っていました。傲慢かもしれませんが、自分以上にものづくりや造形に対して詳しく、知識と腕と情熱を持ってやり続けられる人はいないと思ったからです。それくらい、私と海洋堂は一心同体。私は海洋堂で、海洋堂は私です。今回偶然にもオリエンタルランドで常務をされていた佐藤哲郎氏とご縁をいただき、海洋堂のこだわりや強みを理解していただいた上で資本業務提携を結び、新体制で海洋堂を続けていくという道が生まれましたが、私は個人的には本当にものづくりが好きなだけの人間ですから、海洋堂でもっともっと良い模型を作りたいと思います。

ものづくり
タウンかどま

本当にものづくりがお好きなのですね。

宮脇

そりゃあもう、「神様」になった気分ですよ。指先で作って、水彩で色をつけたり、まさに無から何かを誕生させる喜びを感じるのがものづくりであり造形です。
ただ、日本人はフィギュアを楽しめない民族なんじゃないかとも私は思います。「平たい顔族」という表現がありましたがまさにその通りで、アニメや漫画といった二次元の方が得意な国民なのかなと。

ものづくり
タウンかどま

フィギュアを楽しめない民族ですか。

宮脇

はい。日本で立体造形といえば仏像くらいでしょう。それさえも姿形は同じで、お雛様といった人形もお金持ちの家にしかない季節行事のためのものだった。そうなってくると、立体を楽しめない民族になるのもわかるような気がしませんか。でもね、私からすれば、「少しは立体物を楽しめよ!」って気持ちなんです(笑)。だから、そういう文化をちょっとは広げていきたいですよね。格好良いことを言って広めるつもりは全然ありませんけれど、もう少し「好き」と言ってくれる人が増えたらいいなとは思います。オタク文化に関して、日本はまだまだアジアには負けないと思いますし、ものづくりにできることはまだまだあると思っています。

ものづくり
タウンかどま

「フィギュア」というものの価値を生み出し、日本で新たな造形の文化を作ってきた海洋堂様だからこそのお話、ありがとうございました。

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